《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー162-
人生には”やり方”を正しく用いてもままならぬことが多くある。
これは”生活人生”と「生存人生」の違いにある。
”生活人生”とは、
この肉体や生活環境のみに偏って生きることをいう。
それは”幸せのための条件集め”が中心になっていく。
お金とかモノとか、
地位とか名誉とか、
こういうものは「幸せの条件」の一つではあるが、
決して「幸せ」そのものとはいえない。
対して「生存人生」とは、
人としての尊厳の元に、
その「在り方」を追求して生きていく意識。
いかなる方法手段をもってしても、
そこには”相対的効果”は手に入れられても、
自分自身の人生における、
「絶対的効果」を手に入れることは難しい。
それは必然の上に授かった自分の「生命力」が委縮減退し、
目に見えること、
耳に聞こえることだけに振り回されているから、
”努力いたずらに空しく効果極めて少なし”という結果しか生まれてこない。