《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー156-
よく『”現実”は厳しいから・・・』と口にする人がいるが、
”現実”とは、
「実際に目の前に現れる単なる”現象”」であり、
”現実”は”現実”でしかないと天風哲学では教えている。
「自分が生きている」ということもこれは”現実”。
どんな人でも、
『いま自分は死んでいる』などと感じる人はいない。
生きている。
息をしている。
飯を食っている。
歩いている。
恋をしている。
怒っている。
悲しんでいる。
私はこの教えをこう理解している。
”現実”であるから目の前のことは全て「事実」ではある。
「事実」ではあるが・・・・、
その目の前のことが起きるに至っては、
何らかの自分の心構えや意識が根底に存在している。
それに気付くことこそが、
その「事実」に隠れている「真実」というべきものであり、
「本質」といわれるものであると。