第5,054号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー129-

 

天風哲学の中に、
純一無雑じゅんいつむだつ)」ということが出てくる。

私達はとかく表面的なものを追い求めがちになる。
利他」という言葉もそうだ。
これは”自分を犠牲にしてでも誰かの役に立ちなさい”などということではない。
誰かに喜んでもらうために。
誰かのお役に立つために。
こういう意識が”自我”であることに気付けないでいると、
せっかくの自分の行為も違った方向に向き始めていく。

純一無雑」とは、
たった1杯のお茶を入れるのでも、
『これを呑んでいただくことで喜んでいただきたい』とか、
誰かに呼ばれ返事をする際にも、
『元気に返事をして周囲を盛り上げよう』とか、
『呼んだ人が”素晴らしい返事だ!元気をもらえる”と思ってほっしい』といったことを一切、
意識の中に置かずに、
ただひたすらに、
目の前のことに取組む姿勢を示している。
言い換えるなら、
自分が行う行為に、
一点なんの求むるものをも描き抱かない意識状況を教えてくれている。
真の利他”とはそうした、
形容しがたい心の状態の中で生み出されていくということ。

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