《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー74-
「人は心であり観念だ」
これは天風先生のお言葉の中でも私の好きな言葉の一つ。
これも私なりの解釈だが、
「観念」とは対象物に対して心の働きが加わったもの,
つまり認識されたものをいう。
対比して示すなら”概念”っというのがある。
これは外的・共通的なものであり,
それによって影響された考え方(思い込み)などで、
対して「観念」は、
自分の内的・個人的な意識そのものともいえる。
私達は目の前のことをとかく「感情」だけで受け止めてしまう。
好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
それが悪いわけではないが、
それだけだと方向性が偏っていってしまう危惧が生じ、
自分の「心」に与える影響も違ってくる。
”現実は厳しい”ということがあるが、
考えてみればこの”厳しい”と受け止めているのは、
他でもない「自分自身の”心”」でしかない。
目の前のことも、
”辛いこと”と自分がそう受け止めれば必然的に辛いことになる。
上司から言われたことや態度も、
”嫌な上司”と受けえ止めればそのまま、
その上司は”嫌な上司”になるだけしかない。
だから大切なことは、
表に出てくる言葉や態度ではなく、
その「中身」をしっかりと自分で受け止めることだ。
これが”概念”と異なる「観念」の持ち方だ。