《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー69-
”相手の気持ちになる”
よく使われえる言葉だが、
これもまた表面的な受け止め方をすると間違った方向に向かう。
実はこういう能力は、
私達人間だけが持つ、
「特殊精神力」だと天風哲学では説かれている。
人間だけに賦与されているのはなぜか?
こう考えたら、
何事に対してもこの「精神力」を使うべきだ。
ところが”相手の気持ちになる”というのを、
単に表面的に考えると、
そこに同情とか、
情けという感情だけで受け止める人も多く出てくる。
私はこの言葉もまた、
「自分目線」で受け止めることが大切だと認識している。
何か逆の話をしているかのように聞こえるが、
”相手の気持ちになる”とは、
「自分に正直に向き合う」ということではないだろうか?
相手に理解しもらおうとか?
相手に対して気を遣って向き合うということの前に、
いま自分が相手に対して何を話しているか?
その「心の中」に”偽り”や”忖度”は無いか?
これこそが「相手に対する礼儀」そのものだと考える。