《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー47-
私達がいくら心がけても難しいことの一つに、
”不平不満を口にする”という行為がある。
自分では意識して気を付けてはいるのだがついつい出てしまう。
仕事が辛い。
自分で選択して選んだ仕事なのに・・・。
給与が安い。
残業が多すぎる。
休みが取れない。
上司の言い方が気に入らない。
部下の動きが気に入らない。
『なんでそんなこと言われなきゃならないの?』
『なんでこんなことやらなきゃならないの?』
『あの人はなんであんなに評価されるの?』
こうした”不平不満”を口にする時、
私達の心理状態は・・・・・”自分を見ていない”。
他人のこと。
他社のこと。
自分で「あぁ~なりたい!こうなりたい!」と、
思い描いている”先ばかり”見つめて、
全く自分の足元が見えていない状態の時に起こる。
天風哲学では、
こうした言葉は、
未練であり愚痴でしかない、
全く価値の無い世迷言だと教えてくれている。
『仕事は辛い・・・でもお金稼がないと生活できないから、
いまはとりあえず我慢してここに居るけど、
少しでも条件が良いところが在ったらすぐに辞めてやる!』
もし、
こんな思いでいま毎日を過ごしているなら、
そういう人には一時的に条件が揃うところがやって来ても、
その結末は、
いま以上に苦しい試練の連続が待ち構えることになる。