第4,968号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー44-

 

人と人との世界にお互い活きる中であるなら、
私達は、
まず偏りの少ない、
誰にでも公平な愛情を持って接し、
お互いが助け合っていくことが望まれる
こういう教えもまた偏って受け止めると、
誰かの為に役立つ
誰かに喜んでもらう
周りから感謝される人間になる
こういうことをすぐに口にする人がいるが、
この教えの本質はそんなところには無い。
例えて言うなら、
社内の倉庫が乱雑で、
みな作業を面倒くさがっていた。
こんな時、
上記のようにこの教えを表面的に受け止める人は、
誰かにその現状を指摘して、
『倉庫が乱雑でみんなが困っているから整理整頓して!』と、
そして、
『みんなが困らないようにしよう!』と、
自分が動く前に口先がまず走り出す。
そうではない。
そういう現象を目のあたりにしたら、
すぐさま、
自分でやれることからやればよい」だけのこと。
誰かの為にでもなければ、
誰かの役に立つためでもない。
自分がと感じたことをすぐさま行動に移すことだ
それが強いては誰かの役に立ち、
みんなの為になっていく。

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