《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー42-
私達は「命」があるから生きている・・・・と思い込む。
果たしてそうだろうか?
確かに、
「命」尽き果てる時は”死する時”というのが常だが、
禅の言葉の中にこういうのがある。
「我ありと感ずる我は仮の我。誠の我は見えず感ぜず」
これを天風哲学の教えではこう受け止めている。
「我ありと思えるものは仮の我。誠の我は”命”そのもの」と。
これを私なりに解釈するとこうなった。
私達は「命」があるから生きられている。
でも、
その「命」が宿っているのは私達の”肉体”。
そして、
その”肉体”を保ち維持して動かしているのは、
紛れもなく私達の「意志」。
その「意志」は、
その源となる「気(エネルギー)」によってなり、
その「気(エネルギー)」があるからこそ、
私達人間は「意志気(意識)の動物」と言われている。
この「意志気(意識)」を強く持つコトこそ、
全ての源であり、
あの「力の誦句」に出てくる、
”病にも運命にも否、あらゆるすべてのに打ち勝つ力”そのもになっている。