第4,966号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー42-

 

私達は「があるから生きている・・・・と思い込む
果たしてそうだろうか?
確かに、
尽き果てる時は”死する時”というのが常だが、
禅の言葉の中にこういうのがある。
我ありと感ずる我は仮の我。誠の我は見えず感ぜず
これを天風哲学の教えではこう受け止めている。
我ありと思えるものは仮の我。誠の我は”命”そのもの」と。
これを私なりに解釈するとこうなった。
私達は「があるから生きられている
でも、
その「が宿っているのは私達の肉体”。
そして、
その”肉体”を保ち維持して動かしているのは、
紛れもなく私達の「意志」。
その「意志」は、
その源となる「エネルギー)」によってなり、
その「エネルギー)」があるからこそ、
私達人間は「意志気意識の動物」と言われている。
この「意志気意識)」を強く持つコトこそ、
全ての源であり、
あの「力の誦句」に出てくる、
病にも運命にも否、あらゆるすべてのに打ち勝つ力”そのもになっている。

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー