《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー32ー
自分が生きる人生を”生活人生”にしてはならない。
目指すのは「存在(生存)」として向き合うことが何よりも大切。
例えば、
毎日の仕事一つをとらえても、
『仕事は辛く苦しいものだからそれに耐えれば給与がもらえる』
これなどは”生活人生”しか頭の中に無い。
「生存人生」で仕事をとらえるならこうなる。
『仕事は自己表現の場だ。何をしているかではなく自分自身がそれにどう向き合っているかこそが問われ』
この仕事に対する「受け止め方」の違いは、
その人のこれからの人生の全てを方向付けていく。
人生には意味の無いことばかりが続く。
”生きること”ですら意味はどこに在るのか?
極端に言うなら”生きることすら意味の無いこと”だが、
それにどう向き合っていくかと自分の意識と姿勢で、
その”意味の無いもの”が「意味の在るもの」に変わっていく。
これが理解出来な人は、
何もやらないうちから、
『これやることに何の意味が在るのですか?』
『これをやる必要性はどこに在るか?』という愚問を持つ。
そんなことは自分自身が、
真剣にそれに向き合って素直な気持ちで愚直に取組めば判る。