第4,944号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー20

 

時はなりではなくなり
私達は生まれてから、
過去現在未来”と、
一定の時空間を生きているかのように考えがちだが、
過去”は、
いかなる事実もそこに起きたことは変えることが出来ず、
未来”もまた、
いかなる夢を抱こうが、
自分が思い描く絵図にようにはまずならない。
現在”とて、
それは・・・・、
実は在って無きものであり瞬きする間に過ぎ去っていく。
それであるなら、
私達が自分「意志でコントロールできるのは、
いま目の前のこの瞬間」しかないということだ。
ならば、
その「瞬間」とて疎かにすることなく、
自分自身で『やる!』という、
強い「信念」を持って向き合わなければ、
『アッ!』という間に霧の如く消え去っていくだけだ。
その消え去った「瞬間瞬間」こそが私達の「」そのもの。
これが「原理原則」である以上、
時はなどというもの以上に価値のある尊いもの”ということにならないだろうか?

 

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