《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー18ー
天風哲学では、
「積極的人生」というような表現が多く出てくる。
結果や、
まだ起きてもいないことを、
自分自身の妄想の中で勝手に”心配事”にして、
何もしないで案じてばかりいたところで何も変わりはしない。
私が初めて天風哲学に出逢ったのは、
亡父からの教えだった。
その時は意味も解らないことも多くあったが、
何よりも、
15歳の少年には、
『そんなこと言ったってさぁ~』
『言ってることは解るけど(本当は全く解ってない)』
こういう”言い訳”を口にしては、
その教えを「実行する」という、
強い「信念」を持つまでには至らなかった。
この愚かさに気付けたのは、
恥ずかしながら、
間もなく還暦になろうかという歳になってからだ。
あの”島津いろはかるた”の中にもあるが、
「道を聞きても習いても我が行いにせずば甲斐無し」だ。
天風哲学でもこの「行動(やるぞ!)」という、
「進取な意識」はあらゆる切り口で語られている。
『なんでこれをやる必要があるのか?』
『これをやる意味はあるのか?』
『自分が納得できないことはやりたくない!』
”やりたくない言い訳”はいくらでも並べられる。
こういう人間に、
「人生の情味」を味わうことは難しくなる。
この「人生の情味」を味わうには、
いかなることも、
「挑戦する!」
「やる!」という絶対不断の意識が不可欠になる。
いかなる書物を読もうが、
どんな有名講師のセミナーを受講しようが、
『やる!』という信念を失ったらそれこそ意味は無くなる。