第4,940号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー16

 

天風先生はご自身が肺を患い、
当時の我が国ではそれを直せる医師も無く、
欧米を渡り歩いて、
その病を治そうと必死になられたご経験がある。
そんな天風先生にあるインドの聖者が、
お前は自分の今の身体の症状だけに囚われ、
つまり、
川上のことを忘れて川下だけを掃除しようとしているからそれに気付かせてやる』と導きを受けたそうだ。

心身一如」のお話をしたが、
私達の「」という”心と体の関係”は、
ちょうど一筋の川の流れに似て、
それは常に切れず離れずの存在にある。
川の流れの上流に位置するのが」なら、
その川下に位置するのが肉体)」ということになる。
どんなに肉体的に疲れていても、
」が前向きであるなら、
その疲れは一過性のものとして消え去られていく。
仕事から疲れ果てて帰って、
風呂に入って、
冷えたビールを呑み干す時のあの感覚だ。
ところが、
これが逆になるとそうはいかなくなる。
悲しみは食欲さえも無くし、
チョッとした体の不調も、
それを気にするあまりに「」に負荷を与えると、
そのチョットした不調が、
やがてはさらなる悪化への道をたどることになりかねない。
その変化に一喜一憂するだけで、
『どうしよう?どうしよう?
このまま治らなかったら・・・・・』と、
まだ起きてもいないコトを不安視して、
に負荷を加えればさらにの不調を増していく
」が「に与える影響は相対的で部分的でも、
」が「に及ぼす影響は絶対的なものになっていく。

 

 

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