《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー9ー
私達の心を揺さぶり、
悩みの種をまくのが”他人”の他にもまだある。
それが「時」というものだ。
中でも、
もう起きてしまったことを変えることのできない”過去”は、
私達の心にいつまでもぶら下がり、
『忘れたい!』と感じるような嫌な出来事ほど、
いつまでも私達の心の中に潜んでいる。
仏教用語の中に「三世に生きる」という言葉がある。
ここでいう「三世」とは「過去・現在・未来」のことを指すが、
私達はこの「三世」のつながりの中で生きている。
現在という「時」を生きている時にはすでに「過去」は死し、
その「現在」といういうのままた、
一瞬にしてに「過去」に流れ、
すぐさま「未来」という入口に差し掛かり、
それがまた「現在」に変わる。
言い換えるなら、
私達は常に「時の流れ」の中で、
”生まれては死に死んでは生まれ変わる”という、
「生死の繰り返し」こそが「生きる」ということだとの教え。
つまり、
過去にどんな嫌な出来事があろうと、
それを後悔しながら生きるのではなく、
私達は「今をどう生きるか」しか道が無いということ。