《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー74-
誰かと「話し合う」時も、
「挨拶」と同じで”その「目的」”を誤らないことだ。
ややもすると私達は、
誰かと「話し合い」をする時に、
*相手にこちらの考えを理解してもらう。
*こちらの意見を通す。
*相手の考えを変えさせる。
こういう”勝ち負け”にこだわりがちな傾向が強くある。
この”勝ち負け”にこだわると「話し合い」は”論争”へと変化する。
「話し合い」・・・・・、
これは、
”いまここに無い新しい答えを導き出すため”にある。
Aの意見とBの意見を戦わせて、
どちらの考えが正しいか?
どちらの意見が間違っているのかを明らかにするためではなく、
Aでもない。
Bでもない。
まったくそれまで誰も考え着くことが叶わなかった、
「Ⅽ」という新しい”答(考え方)”を導き出すことこそ、
「話し合いの目的」といわれるものだ。
だからこういう場でも”他人”を自分の中に引き込んで、
『こんな意見を言ったら何と思われるか?』
『アイツの言う話など聞いたところで・・』
こういう意識が強くなると、
人は自分を自分で殺していくようになり、
他人の話を聞いても、
腑に落ちて理解するのではなく、
『反対したところで無駄だから・・・・』
『どうせ解ってもらえないから・・・・』
こういう意識での”解り方”に治まっていくしかなくなる。