《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情”の本質を知ると”感情”に振り回されない」 ー4-
「感情」というものは、
その姿形を目視することができない。
例えば、
他人の言葉に”悪意”を感じるようなことがあっても、
それはあくまでも”言葉”の持つ表面的なものだけで、
それがその人の心根の中で、
どれほど根深く、
執拗な思いがこもっているのか?
実のところは誰にも判らないことだ。
そもそも、
発した言葉の通りに”悪意”が存在しているのかどうかも同じだ。
例えば、
父親が息子がしでかしたことに対して、
『”馬鹿野郎”こんなことしでかして!』と怒鳴り飛ばしても、
その”馬鹿野郎”という口汚い言葉には、
間違いなく「愛」が存在している場合が多くある。
自分自身が発する言葉を振り返ってみれば解るはず。
カッとなって、
全身怒りに包まれ発した言葉も、
時間が経つと、
『なんであんなことを言ってしまったのか?』
『なんであんな言い方をしてしまったのだろうか?』と、
誰にでも後悔することが多くあったはず。
そして時間が経過すると、
その時の”怒りの「感情」”は取り戻すことさえ難しい。
だったら、
怒りや憎しみをいつまでも抱いて、
姿形の見えない「感情」をいつまでも相手にするのではなく、
現実の中で、
”変えられること(やれること)”から向き合った方が、
どれだけ効果的だろうか?