《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -28-
昨日のブログで、
自分の「性格」とは、
自分自身で思い込む主観的なものというお話をした。
その根底にあるのは、
3歳を過ぎた頃からの経験や体験。
長く脳内にしみ込んだ思い込みは、
なかなか変えることは難しい。
というよりも、
これもいつも言っているけど、
基本的に「性格」は変えられない!
でも、
その”思い込み”の方向だけは変えることが可能。
今日はその方法について。
それは、
あなた自身の”基準変更”だけ。
目の前に起こる”出来事(現象)”に対する、
喜び、
怒り、
嫉妬、
迷い、
こういったチョッとした感情基準を変えてみること。
自分はどんなことに喜びを感じるのか?
自分はどんなことに嫉妬し、
どんなことに怒りを感じ、
どんなところで迷いを感ずるのか?
そして、
それは、
どんなことがきっかけでそうなったのか?
そういうことを一度書き出してみると良い。
私は、
サラリーマン時代、
「報告・連絡・相談」この3つを
しっかりと実行しない部下を評価しなかった。
それは、
組織人というのは、
いかなる理由があろうと、
この3つだけは、
細部にわたり、
行うことが当たり前という”基準”を持っていたから。
それと人事部長という役職も、
そうさせていたのかもしれない?
『人事部長は全従業員の手本にならなければ!』
こう思い込んでいたから。
だから周囲からは、
よくいうと几帳面。
悪くいうと細かすぎる。
この「性格」は自分でも自覚していたから、
サラリーマン時代は、
これが”悩み”というかイライラになっていた。
でも、
ある時をきっっけに、
その”基準”を変えることにした。
今でも時折、
そうした相手に出会うと、
「こんなこともやれないのか?」と腹立たしくは感ずるが、
それもこれも、
”全ては必然”と捉えることにしてから、
目の前の”出来事(現象)”に対する反応方向を変えられた。
つまり、
「○○な性格だから△△を許せない!」という思考に
変化が生まれ、
「○○な性格だからこそ△△を許せる!」という方向に。
それがやれるようになったのは、
55歳を過ぎてからだった、
30年以上の付き合いがある、
ある著名な先生から、
『最近やっと”オーラ”を感じなくなったね』と。
思い込みの肩書は、
方向を変えるだけで肩から降ろせる。
人は「性格」は変えられなくても、
自分の≪志意≫を変える、
つまり、
意志気(意識)を変えれば、
自分自身が抱く”思い込み”も変わるということ。
明日は≪志意(しい)≫という言葉について。