第4,079号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」  ー37-

 

人生道も70年も歩いていると最近は、
どう生きるか?”よりも「どう死するか?」を考えることの方が多いような気がしている。
一人になると、
自分の最後の時を想像してみることもある。

これは「自省(振り返り)」という意味からいうと、
非常に効果的だ。
自分のこれまでの人生を振り返ってみたとき、
どれだけの人が、
100点満足をつけられるのだろうか?
死の床で、
最期を迎える時、
『あぁ~俺は生きるうえでの優先順位を少し間違えたかな?』
おそらくはごく一部の人を除いて、
こう悔いを残しながら覚悟を決めていくのだろうか?

とかく「どう生きようか?」だけを考えながら生きてきたけど、
こうして、
まだ余命が残されているうちに、
自分の人生最後の時を想像すると、
「後に続く人達に何を残すべきなのか?」
「自分にとって、
一番大切なモノやコトって何だったのだろうか?」
こういうことが、
まるであぶり絵のごとく浮かび上がってくる。

亡父が無くなる直前に残してくれた言葉。
その「本質」が今やっと理解できて来たような気がする。

人生は生きて虹となり、死して光とならん!”
太陽は誰かのために輝いているんじゃない。
虹も誰かを喜ばせるために現れるのではない。
それぞれがそれぞれの条件を満たしたとき
はじめて本来の輝きを見出す

そして今日が、
この言葉を残した亡父の小付け命日だ。

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