《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「いまなにか”悩み”あるなら読んで欲しいシリーズ」 ー53-
家族間でも、
私達が本当に望んでいるのは、
自分の子供を愛し子供がそれに気付いてくれること。
でも、
私達は「愛することを”怖れる”」。
『こういう表現で良いのだろうか?』
『これで伝わっただろうか?』
チャンと「愛せて」いないのじゃないだろうか?
本当は拒絶されているのかも?・・・・と、
不安は留まることを知らずに膨らんでいく。
だから一つひとつ、
子供の反応を伺いながらあの手この手を考え練る。
こうなると子供はそれを察知し子供の中にも”不安”が宿りだす。
これは、
親が子供に対して、
どこかで自分の”感情”だけを押し付け、
何とか言いくるめながら、
自分が思い描く方向に進んでくれと願っている姿だ。
(自分の経験からいうのだから間違いない・笑)
いまから振り返れば、
あの時に、
もっと自分自身に対して、
そして子供に対して「正直」になれば良かったということだけ。
結局、
リスクを恐れていては何も手には入らないということ。
親のメンツも捨て、
親の独断も捨て、
子供人生を子供の人生として客観的に「正直」に見つけて、
先輩として向き合い、
意見を差し伸べるだけで十分なことだったのだ。
後は子供の人生を子供自身がどう生きるかということだけ。