《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー247-
人生でもスポーツの世界でも、
よく「高見を目指す」と口にする人は多くいるが、
そのほとんどが、
その「高見」の意味を、
ランクとかレベルと言ったところにおいて語っている。
ましてや人生においての「高見」というのは、
そんなところには存在してなどいない。
天風哲学の言葉を借りるならこうなる。
「金殿玉楼の中に在って暖衣飽食の日々を送っていても、
そこに感動も感激も感謝すら姿のない日々は、
不平と不満に満ち溢れていく。
そんな人生を歩むよりも、
日々の些細なことに感動しながら感激し、
感謝に振り替えてくる日を迎えていくのであるなら、
截然としてそこに存在するのは、
高貴な価値の尊い人生となり得ていく」
これはまるで”修行僧のように生きなさい”などと教えてくれているのではない。
毎日の当たり前のコトを、
”当たり前”と受け止めず生きなさいということ。