《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー166-
ことわざに”人のふり見て我がふり直せ”というのがある。
他人の言葉や行動行為をやたら批判する人は、
”他人の振り”に対して、
「我がふり」を正しく照合して是正しようとはしない。
ただあしざまにそれを批判するだけで、
そうしていることが、
”自分が何か事をやっている”という勘違いの中で生きてしまう。
だから、
相手の持つ良いところも、
相手から与えられる自分への「気付き」にも、
気付くことが出来ず、
自分自身が成長すべく価値あるモノを、
自分の中に感得できなくなる。
これは生きていく上で凄く悲しいことだが、
そういう人は、
そういうことにも”気付けないまま”生きていくことになる。
人は完全無欠な完璧な人など存在しない。
自分も他人もみな不完全な状態で学び合って生きている。
自分にとって”他人”は、
時に、
悪の見本でもあり善の手本ともなる。
どちらにしていくかは自分自身の受け止め方だ。