《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の歩き方は一つだけじゃない!」 ー108-
コロナ禍が続いているせいか?
世の中がどんどんとギスギスしている感じがする。
幸せそうな人を見てわけもなく切りつけたり、
チョットした一言で切れて、
執拗に狙って硫酸かけるような人間が現れたり、
ピリピリするネタは尽きることが無い。
こんな状況が長く続けば、
イライラもするしピリピリもする。
私達がそういう感情に追い込まれるのは、
自分の思い通りに事が進まない時。
毎日の生活の中で、
食事をしながら一杯やりながら、
仲間と楽しく語りあいたい。
ゆっくりと街の中でショッピングもしたい。
カラオケにも行きたい。
そんな小さなことを単純に「こうありたい!」と望むが、
思い通りにいかないのがこれまた人生だ。
人は、
”限られた視野と希望と不安を秤にかけながら、
その現象が自分が描く理想と一致しないとそれを「苦難」と呼ぶ”
これは大昔から変わることが無い。
私達は物や人や、
期待どおりの現象を思い描い追い求めながら一生を送る。
そしてそれを手に入れようと、
ある時は戦いを挑んで相手の命を奪ってまでも、
手に入れようとする。
桜や梅の木のように、
厳しい冬をひたすら無言で耐えて、
耐えて耐えて耐え抜いて、
静かに花を咲かせ佇み生きるコトがやれない。
これがまた人間の長所であるのかもしれないが、
どこか空しく寂しい気もしてくる。
桜や梅の木のように生きろとは言わないが、
せめて、
時折、
心の底にヘドロのように溜まった「執着」を捨てて、
目の前の”与えられた条件の中”で、
「最善の努力」を惜しまず、
生きてみるのも大切なことかもしれない。